「それは過越祭の準備の日の、正午ごろであった。ピラトがユダヤ人たちに、『見よ、あなたたちの王だ』と言うと、彼らは叫んだ。『殺せ。殺せ。十字架につけろ。』ピラトが、『あなたたちの王をわたしが十字架につけるのか』と言うと、祭司長たちは、『わたしたちには、皇帝のほかに王はありません』と答えた。そこで、ピラトは、十字架につけるために、イエスを彼らに引き渡した。」ヨハ 19,14-16
イエス・キリストは、父である神に遣わされて、人間が幸せに生きるために絶対に必要としている愛、神ご自身の愛、永遠の愛を私たちのもとに持って来てくださいました。しかし、人々は、イエスを大きな喜びと感謝のうちに迎え入れる代わりに、イエスを十字架につけて、イエスと共にイエスが持って来てくださった愛を滅ぼそうとしたのです。これ以上に愚かなことがあるでしょうか。
残念ながら、この悲しい出来事は、人類の歴史において一回限りのものではありません。私たちが与えられた愛を何の価値もない利益や一時的な快楽のために利用しているとき、また、この愛を傷つけ、無駄にしてしまうとき、キリストとその愛が、2000年前と同じように十字架に付けられているのです。
人類は、犯してきた過ちから何も学ばないのでしょうか。そんな愚かな人間には、一体、心の望みが満たされる希望、完全に幸せになる希望があるのでしょうか。
全能、永遠の神よ、 御独り子キリストの受難によって、 あなたはすべての人に及ぶ死の遺産を打ち砕いてくださいました。 罪の重荷を負うわたしたちが、恵みによって聖とされ、 キリストに結ばれて新しい人となりますように。 わたしたちの主イエス・キリストによって祈ります。アーメン。