年間第6主日A年 (マタ5,17-37)

「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。」マタ5,17

神は最初から、つまり人間を創造したそのときから、人間のために何を求めておられるかということをはっきりと知っておられました。それはご自分自身が完全であられるように、人間が完全な者となること(マタ5,48)、神がいつくしみ深い方であるように、いつくしみ深い者になること(ルカ6,36)でした。 そして、ご自分の望みに従って、最初から、人間をその目的に向かって導いておられたのです。

けれども人間は、神の導きに従って生きることによって段々と成長し、自分の完成に近づく代わりに、神に逆らって自分勝手な生き方をすることによって堕落し、神が求めた姿と正反対の姿になってしまったのです。幸いにも神は、人間に関するご自分の望みをあきらめず、この堕落状態を出発点にして、人間の現状とその力に合わせて導きを与え、人間を育成し続けておられたのです。聖書において、この育成の歴史が見受けられます。

自分の仲間の一人が殺されたら、殺人に関わった人の仲間の何人かを殺す人に、「目には目を、 歯には歯を」という掟を与えることによって、神はこの人の正義感を少し高めました。それから神は、殺すこと自体や人の体を傷つけることを禁じて、不正な行いによって人に損害をもたらさないようにと、それから悪口などによって人の名誉や感情を傷つけないようにと教えてくださいました。人間が成長したら、自分がしてほしくないことを他人にしないだけではなく、もっと積極的に、してほしいと思うことを、自ら人のためにするように導いてくださいました。次の段階としては、隣人を愛すること、自分を迫害する人を祝福すること、最終的に敵さえも愛することを、神は教えてくださったのです。

神が私たちに求める生き方は、どんな状況においても可能であるということを、イエス・キリストが示してくださいました。私たちは、自分の弱さや限界を認めながらも、創造主である神ご自身の力を頼りにして、イエスと共に歩むことによって、父である神が私たちに求めておられる生き方を身に付けることができますように祈りましょう。

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