「あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」マタ5,16
イエスは全力を尽くして、苦しんでいる人を助けていましたが、そのような行いによって、この人々の目に見える問題を解決しようとしたのではありません。イエスが何よりも求めたのは、ご自分の行いを見た人々が「天の父をあがめるようになる」ことでした。けれどもそれは、イエスが人の不幸を利用して、ご自分の宗教的な目標を達成しようとしたわけではありません。
イエスが、飢えているすべての人を食べさせても、全世界のすべての病人を癒しても、満腹した人は、再び空腹になりましたし、癒された人はまた病気になって、やがて死んだに違いありません。もし、イエスがそのような働きによって人間の問題を解決しようとしたならば、その活動は大失敗で終わっただけではなく、最初から失敗で終わるに決まっていたと言えると思います。
考えて見れば、病人を癒すために、その病気の症状をなくすのではなく、病気の原因をなくす必要があります。人間の病気や死、飢え渇きや他のすべての苦しみは、人間の不幸の原因や、人間の最も大きな問題というよりも、ただの症状なのです。人間のあらゆる苦しみの最終的な原因というのは、愛と命の源であり人間の幸福の唯一の源である神を、知らないことなのです。神を知らない人は、神を恐れたり神を無視したりして、神との正しくない関係に生きています。この人は自分の力だけに頼って、自分を守ろうとしたり幸福を手に入れようとしたりして、そんなつもりがなくても、他人と自分を傷つけ、ますます神から離れ、永遠に続く孤独と死に向かって生きているのです。
人間のすべての苦しみの真の解決の方法、しかも、決定的な解決の方法は、父である神に立ち戻り、神との正しい関係に生きることであるということを、イエスは知っておられましたので、ご自分の行いによって、何よりも神の真の「姿」を現そうとして、すべての人々を神のもとに引き寄せようとしていたわけです。