主の公現 (マタ2,1-12)

「イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。『ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。』」マタ2,1-2

福音書には、ベツレヘムで生まれたイエスを拝みに来た羊飼いたちと三人の博士について書いてあります。羊飼いたちと学者たちとの間にはいろいろな違いが沢山あるでしょうが、少なくとも一つの共通点があると思います。それは何かというと、謙遜なのです。

おそらく羊飼いたちは、自分の仕事しか知らないほど素朴な人でしたから、幼い子どもたちが両親の言葉を信じるように、素直に天使たちから伝えられた知らせを受け入れました。博士たちは、当時の学者でしたので、本当の学者らしく、勉強すればするほど自分の限界を良く意識して、ますます謙遜になっていたので、神の導きに従うことができ、自分の理解力を超えるものであっても、幼子において啓示された真理を受け入れることができたのです。

現在は、教育の発展の結果、素朴な羊飼いのレベルを超えている人が大勢いますが、博士たちのレベルに届く人は、それほど多くないようです。少しだけ学んで、もうすでにすべてを知っていると思い込むがゆえに、子どもの素直な心を失い、それでいてなお学者の知恵を得ていない人たちは、自分の限界を認めることなく、自分たちを超えるものを受け入れることができないのです。恐らくそのため、現代の多くの人々は、人間の知恵をはるかに超える神によって啓示された真理に対して心を閉ざし、表面的には賢そうでも、実際は偽りのもので満足しようとしているのではないでしょうか。

コメントを残す