「そこで、ヨセフは起きて、幼子とその母を連れて、イスラエルの地へ帰って来た。しかし、アルケラオが父ヘロデの跡を継いでユダヤを支配していると聞き、そこに行くことを恐れた。ところが、夢でお告げがあったので、ガリラヤ地方に引きこもり、ナザレという町に行って住んだ。」マタ 2,21-23
聖ヨセフは、生じた問題を解決するために、一生懸命に正しい方法、愛する人のための最善の方法を探していました。けれども、自分が良いと思うような解決の方法を見つけたとしても、神のみ旨がそれと異なると分かった時には、自分の考えを手放して、神の導きに従ったのです。聖ヨセフがこのようにしたのは、自分の愛よりも神の愛の方が大きくて、自分の知識と知恵よりも神の知識と知恵の方が大きく、更に、自分の判断よりも、神の判断の方が正しいということを知っていたからです。このように生きたヨセフは、最高の夫と最高の保護者になり、神から与えられた使命を果たすことによって、最高の人生を送り、神の心に適う人間となったのです。
創造主であり父である神は、ご自分の御ひとり子であるイエスのためだけではなく、すべての人のために特別な計画を持っておられます。実は、一人ひとりが生き始める前から、神はこの人に合わせて、この人にとって最高の計画を立ててくださり、この人がこの計画を実現するために、いつも必要な導きと必要な力を与えてくださるのです。ですから、神が準備してくださった計画が人の存在の目的、また、その意義であるとさえ言えるのです。人間は、この計画に従って生きている時だけ、創造主の意向に適って、すなわち、自分らしく生きていることも、最高の自分に、と同時に最高に幸せな自分になることもできるのです。
私たちが誰かを本当に愛していて、この人の真の幸せを求めているならば、この人を自分の想像や自分の期待に合わせるのではなく、この人自身が自分のために神が立ててくださった計画を見出せるように、それから、この計画に合わせて生きられるように支え、協力するはずです。このように生きることによってこそ私たちも、最高の夫や最高の妻、最高の父や最高の母、また、最高の兄弟や最高の友となり、最高の家族、最高の共同体、ひいては最高の社会を作ることができるのです。要するに、自らが神の望みに従って生き、他の人も神の望みに従って生きるよう、この人を支えることによって、聖ヨセフと同じように、神の国の実現のために大きく貢献することができるということなのです。