「イエスは言われた。『神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。すべての人は、神によって生きているからである。』」ルカ20,38
知恵の書に書いてある通り、「神は人間を不滅な者として創造し、ご自分の本性の似姿として造られた。悪魔のねたみによって死がこの世に入り」(知2,23-24)ました。命の源である神から離れた人間は死ぬようになりましたが、幸いに神はご自分の最初の望みを変えることなく、キリストの愛の奉献によって、罪の結果である死に打ち勝ち、キリストの復活にあずかることによって、人間に再び永遠の命の可能性を与えてくださったのです。
キリストが与えてくださった復活の約束は、私たちに大きな希望を与えています。この希望を抱く人は、この地上で人間らしく生き、豊かな人生を送ることができます。というのは、聖パウロが語るように、「もし、死者が復活しないとしたら、『食べたり飲んだりしようではないか。どうせ明日は死ぬ身ではないか』ということになります」(1コリ15,32)と言っても、おかしくないからです。すなわち、復活の希望を持たない人たちにとって、この世の命がすべてになっていますので、この命を楽しむことが何よりも大事なことになっても不思議ではないからです。しかし、このように生きている人は、他の人を愛することができない(この人たちが言っている「愛」というのは、自分の楽しみのために他人を利用するにすぎないことです)ので、人間らしく生きることや、本当に豊かな人生を送ることができないのです。
キリストの約束に基づいて復活の希望を抱く人にとって、一番大切なのは、自分の楽しみではなく、キリストに忠実に生きることです。そのためにこの人は、いろいろな苦しみを受け入れることができますし、自分の利益のために他人を利用するのではなく、他の人の善を求めて、必要に応じていろいろな犠牲を払いながらも、他の人を支え、他の人に奉仕することができます。すなわち、この人は、イエスと同じように、愛に生きることができますので、人間らしく生き、豊かな人生を送るようになるわけです。