年間第23主日C年 (ルカ14,25-33)

「自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない。自分の持ち物を一切捨てないならば、あなたがたのだれ一人としてわたしの弟子ではありえない。」ルカ14,27.33

イエス・キリストが神のいつくしみ深い愛について語り、ご自分の行いによってこの愛を実際に表してくださった時に、多くの人々が喜び、大きな希望を持ってイエスについて行ったり、イエスのもとに集まって、イエスの言葉に耳を傾けたりしました。けれども、イエスの言葉を自身も行った人は少なかったし、イエスに最後まで従った人は、たったの数人だけでした。

確かに、神の愛は何よりも素晴らしく、魅力的なもので、何よりも価値のあるものです。このような神の愛に生きる人だけが完全に満たされ、永遠に幸せに生きることができますが、この愛を受け入れるために、他のすべてのものを手放さなければならない、つまり、必要なものを持ち続けながらも、あらゆる執着と他の束縛から解放されて、すべてのものに対して自由にならなければなりません。

それから、この世において神の愛に生きる人は、イエスと同じように他の人々によって不正な扱いをされたり、苦しい目に遭わせられたりすることがあります。そのために、神の愛を受け入れること、また、この愛に忠実に生きることは、なかなか難しいことなのです。

このような苦しみ、つまり愛に伴う苦しみを受け入れることこそ、イエスが言われる十字架を背負うことであって、このような苦しみを受け入れる覚悟を持つ人だけが、イエスの真の弟子になり、イエスに最後まで従い、愛の完成にあずかるようになるのです。

私たちは、神の愛の受肉であるイエスをますます深く知ることによって、イエスの素晴らしさにますます強くあこがれますように。そして、イエスに対する愛に強められて、神の愛を受け入れ、どんな状況においてもこの愛に忠実に生きることによって、この愛において成長しながら、それを出会う人々に伝えることができますように祈りましょう。

 

 

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