年間第18主日C年 (ルカ12,13-21)

「しかし神は、『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」ルカ12,20-21

 昔も今も、非常に多くの人々が財産に希望を置きます。つまり、大きな財産を持っていれば、安心して、楽しく、快適に生きることができる、一言で言えば、幸せに生きることができると思っているということなのです。財産の所有が幸せになる絶対的な条件であると信じている人にとっては、財産を手に入れることが何よりも大事なことになりがちです。ですから、この人々は、財産を手に入れるために、家族や健康を初め、人生において大切である多くのものを犠牲にして、一生懸命に働くこともあれば、国が作成した法律だけではなく、神が与えてくださった掟をも破ったり、いろいろな人と競争したり争ったりして、知らない人だけではなく、友達も身内の人も騙したり、裏切ったりすることもあるのです。

それ程までに一生懸命努力すれば、求めた財産を手に入れることがありますが、この財産にかけた希望がかなえられるのでしょうか。

まず、人間は、愛に生きるために創造された存在ですので、全世界を手に入れても、心が愛に満たされていないならば、この人は決して幸せになれないのです。ですから、財産には、初めから人を幸せにする力がないのです。そして、もし、財産を得るために、人が以上のような犠牲を払ったり、人と神との正しい関係を失ったり、法律を破ったりするならば、幸福というよりも、大きな不幸を招くのです。

それから、死の問題もあります。人間は、いくら大きな財産を集めることができたとしても、必ず死にます。死ぬときには、頼みにしていた財産が奪われますので、この人の一生の努力は無駄になるわけです。

財産は、幸せになるための絶対的な条件ではありませんし、幸せを与えることができないだけではなく、幸せになることを妨げることもありますので、それを集めることを人生の目的にすることは、愚かなものです。

けれども、財産そのものは悪でもないし、幸せになるために役に立つ可能性もあります。その可能性を実現するために、大切なことを犠牲にすることなく、不正な方法によって財産を手に入れる誘惑を拒否しながら、正当な方法によって手に入れた財産を正しく用いること、つまり、自分の欲望を満たすためではなく、他の人を助けるため、神と人々との絆を深めるために財産を用いる必要があるのです。なぜなら、愛の絆だけが死を超えて永遠に続くものであり、幸福になる絶対的な条件であるからです。

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