年間第13主日C年 (ルカ9,51-62)

「イエスは、天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた。」ルカ9,51

人類の歴史を見ると、殆どの権力者は、手に入れた権力を弱い人や完全に無力な人々の利益のために用いるのではなく、自分自身や自分の仲間の利益のために用いているということが分かります。また、何らかの悪事を行ったためではなく、権力者に逆らったために罰せられることも、珍しくないでしょう。

以上の経験に基づいて、多くの人は、最高の支配者、最高の権力者である神が、この地上の多くの支配者や権力者と同じように振る舞っておられると、思い込んでいるようです。イエスを歓迎しなかったサマリア人を滅ぼし、復讐しようとしていたイエスの弟子たちも、きっと、このように考えていたと思います。

天から来られた方として、神のことを完全に知っておられたイエスは、多くの人々が想像している神とまったく異なる神を、ご自分の言葉と行いによって現してくださいました。弟子たちに、復讐を禁じることによってイエスが教えてくださったのは、神がご自分に逆らう人々に対して、絶対に罰を与えないし、復讐もしないということなのです。そして、「エルサレムに向かう決意を固められた」ことによって、イエスは神についてさらに素晴らしいことを現してくださいます。

イエス・キリストが、ご自分に対して敵意を持って、ご自分を殺そうとしていた権力者が大勢いるエルサレムに敢えて行かれたのは、この人たちを滅ぼすためではなく、この人たちにも神の愛を現し、回心へと呼びかけ、神との愛の交わりに招くためなのです。確かにイエスは、権力者たちがご自分の証しを受け入れないこと、ご自分の呼びかけと招きに応える代わりに、ご自分を殺してしまうことを知っておられました。それにもかかわらず、エルサレムに行くことにされたのは、苦しみを避けたい、また、ご自分の命を守りたいというような望みよりも、彼らにも神の愛を現したい、彼らを神のもとに導きたいという望みの方が強かったからです。その意味で、エルサレムに行くことは、ご自分に対して敵意を持っていた人に対する真の愛の表現であったとともに、すべての人々に対する神の愛を現す行動でもあったのです。

神の意志に逆らって罪を犯した人間や、大きな悪事を働いて、他の人と神ご自身を傷付けた人さえも愛し続けて、この人の救いを求め、いつも和解と愛の交わりへと招いておられる神に信頼して、神の招きに応える人がますます増え、神の国が発展していきますように祈りましょう。

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