「メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。」ルカ24,46-47
使徒たちと他の弟子たちは、イエスを愛していたし、イエスに大きな希望をかけていたので、イエスが亡くなった時に、イエスを失ってしまい、二度と会うことがないと思って、絶望に陥るほど、悲しくなったのです。
幸いなことに彼らの絶望的な状態は、長く続きませんでした。三日後にイエスが復活されましたので、彼らの悲しみは、大きな喜びに変わったのです。また、彼らはこの体験によって、非常に大事なことを実感しました。すなわち、死さえも、彼らをイエスの愛から引き離すことができないことと、イエスが与えてくださった約束は、実現することの不可能なように見えても、イエスには、この約束を実現する力があるということでした。
イエスの昇天も、弟子たちにとって悲しいことでしたが、イエスの復活の体験によって、今の別れはこの前のイエスの死による別離とは、まったく異なるものでした。今、弟子たちは、イエスの言葉を信じて、イエスが与えてくださった約束は必ず実現されるという確信を持っていました。そのために、昇天による別離は悲しみをもたらしても、絶望にはなっていませんでした。逆に、彼らの心は、大きな希望と平和で満たされていたのです。
イエスが弟子たちに約束してくださったのは、 父である神の家で、彼らのために場所を用意すること、彼らを迎えに来ることと、いつまでも共にいること(ヨハ 14,2)、それから、聖霊、つまりご自分の霊を弟子たちに送ってくださる(ヨハ14,26)ということでした。
イエスが約束通りに送ってくださった聖霊を受けた弟子たちは、イエスの姿が見えなくても、イエスとの愛の交わり、しかも前よりも深い交わりの内に生きることができるようになりました。また、イエスの声が聞こえなくても、イエスの導きに従って生きるように、しかも、前よりも忠実に従って生きるようになったのです。
イエスの霊のおかげで、弟子たちは、イエスから与えられた使命を果たしながら、イエスとの関係を深めることができました。これによって使徒たちは、イエスとの決定的な再会のために、そして、イエスとの完全な一致と同時に、父である神との完全な一致であるイエスとの関係の完成のために、準備をすることができたわけです。