復活節第5主日C年 (ヨハ13,31-33a.34-35)

「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」ヨハ13,34

殆どの人は、自分の人生において何か足りないとか、自分の心が何かに飢え渇いていると感じても、それが具体的にどんなものであるのかが分からないようです。そのために、いろいろな物を追求しますが、どんなものを手に入れても、なかなか満足しないのです。人間は愛によって神と結ばれて、いつまでも神の命と至福にあずかるために創造されましたので、愛に生きていない限り、決して満たされることもなく、心が飢え渇き続けるのです。

けれども、自分の心が満たされるために愛が必要であると分かっても、愛とは何であるかが分からない人が殆どです。例外もあるでしょうが、私たちが子どもの時から体験している「愛」というのは、私たちを愛してほしいと思う人の期待に、応える代わりにもらう報いのようなものです。私たちが言われたことに聞き従ったり、良く勉強したり、スポーツが上手くできたり、親切であったり、お金や他のものを貸したりするとき、それで喜んだ人にほめられたり大事にされたりする時に、愛されているように感じるのではないでしょうか。そのような「愛」を体験して来た人は、自分を喜ばせる人に対して好意を持ったり、この人に優しくしたりする時、この人を愛していると思うのでしょうが、それは悪いことではなくても、私たちが心の奥底で求めている愛ではないのです。

本当の愛を知りたいならば、この愛に生きたイエス・キリストを見つめる必要があります。イエスが示した通りに、真の愛とは、無償で、無条件に相手のために真の善を行うことです。本当に愛する人は、それが自分の喜びになっている時だけではなく、苦しみになっている時でさえも善を行い続けるし、相手を高めるために自分の時間や力だけではなく、必要に応じて自分の命までささげます。確かに、自分がこのように愛されたら素晴らしいことです。けれども不思議なことに、人間の心が満たされるのは、人間がこのように愛されている時ではなく、誰かをこのように愛している時だけなのです。なぜなら、このように愛することによってだけ、私たちは私たちの人生の目的である神と一体になるからです。

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