年間第7主日C年 (ルカ6,27-38)

「しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。」ルカ6,35

誰かを愛するとは、その人のことを好きだと感じることだと思う人にとって、敵を愛することは不可能であるだけではなく、ご自分の弟子たちに敵を愛することを要求しておられるイエスは、非現実的な人間、世間をまったく知らない人間に見えるかもしれません。

しかし、イエスが言っている愛とは、感情のことではなく、行いのことなのです。誰かを愛するとは、その人を好きだと感じることではなく、その人のために善を行う、しかも、無条件に善を行おうと決心することなのです。

もし、誰かが自分に対して善を行う人のために善を行い、自分に対して悪を行う人のために悪を行うならば、この人は、イエスが言われているような意味では誰をも愛していない、ただ、自分を中心にして、自分の利益を基準にして、周りの人々に振り回されているだけなのです。

キリストの弟子として生きるとは、イエス・キリストに倣って、愛を基準にして生きること、つまり自分に対して善を行う人のためにも、悪を行う人のためにも、善を行うということなのです。しかし、善を行うとは、誰にとっても優しい態度をとったり、何でも許したりすることではなく、必要に応じて、相手の怒りや妬みを招くことになっても、イエスのように、相手の過ちを示したり、その他の正当な手段を以て悪事を止めさせたりすることなのです。

人がこのように愛に生き、すべての人のために真の善を行っても、すべての人に尊敬されるとか、ましてやすべての人から恩返しを受けるということはまずないでしょう。それよりも、多くの人に憎まれ、苛められる可能性の方が高いです。けれども、この人は、このような悪事さえも生かして、必ず人間として成長し、イエス・キリストご自身と同じように神の心に適う神の子になります。そして、その人はいつくしみ深い父である神ご自身の愛を示すことによって、多くの人々を神のもとに引き寄せることもできるでしょう。

 

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