年間第6主日C年 (ルカ6,17.20-26)

「この世の生活でキリストに望みをかけているだけだとすれば、わたしたちはすべての人の中で最も惨めな者です。」1コリ15,19

 キリスト者であるならば、私たちの創造主であり父である神が、真の幸福、しかも永遠に続く幸福の唯一の源であるということと、神はこの幸福をすべての人に、恵みとして与えてくださるということを知っているはずです。また、幸せに生きるために何よりも必要なのは、神の子であるイエスを通して神をますます深く知ることによって、ますます強く神に信頼し、心を開いてこの恵みを受けることであるという事実を信じるはずです。けれども、本当に信じるとは、何らかの事実を認めることだけではなく、それに従って生きることでもあるのです。そのためには、自分が本当に信じているかどうかということを知るべく、自分の生き方を見つめる必要があるのです。

何を得るために、あなたは一番一生懸命に努力し、一番沢山の時間をかけていますか。それは、キリストにもっと忠実に生きること、神をもっと知ること、神にもっと近づくことでしょうか。それともそれは、キリストを知らない人たちが幸せに生きるために、どうしても必要だと思っているようなことなのでしょうか。

もし、私たちがイエスを信じても、イエスの教えと異なる教えに従っているならば、また、永遠の命を信じても、自分の人生は死ぬときに終ってしまうかのように、この世のものだけを求めているならば、私たちこそ不幸であり、誰よりも惨めなのです。けれども、頂いた信仰の恵みに忠実に生き、誰よりもイエスに信頼し、イエスの導きに従って生きるならば、私たちこそ幸いであり、完全な幸福に向かって歩んでいるとの確信を持つことができるのです。

ですから、私たちは貧しさの中にも豊かさの中にも、喜びの時も苦しみの時も、神に信頼し、幸福の唯一の源である神の祝福の内に生きることができますように祈りましょう。

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