「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」ルカ1,45
待降節がまだ終わっていないのに、もうすでにいろいろなところでクリスマスの飾り付けがされていて、クリスマスの雰囲気を味わうことができます。おそらくクリスマスの飾り付けさえすれば、場合によって、クリスマスプレゼントを買い、クリスマス会やクリスマスのミサを予定に入れさえしたら、クリスマスの準備ができたと思う人がいるかもしれません。けれども、クリスマスの準備は本当にこれだけで十分なのでしょうか。主を迎えるために相応しい準備とは、どういうことであるかということが分かるためには、聖母マリアを見つめる必要があると思います。
マリアは天使が伝えた神の言葉を受け入れて、救い主の母になるということを信じましたが、自分の体を特別に大切にしたり、自分の家をきれいにしたり、必要なものを揃えたりして、生まれてくるイエスのために周りの環境を準備したのではありません。天使のお告げの中で聞いたもう一つのメッセージ、つまり年寄りの親類のエリサベトが妊娠しているというメッセージを優先したかのように、急いでエリサベトのところへ行って、数ヶ月の間彼女に奉仕していたのです。
主のはしためであったマリアは、人に仕えることこそが、神に仕えることであると知っていました。自分が神の子の母になるということが分かっても、偉そうにしたり他の人から奉仕を求めたりしたのではなく、かえって、以前以上にもっと力を尽くして他の人に奉仕していたのです。マリアはエリサベトに仕えることによって、まだ生まれていなかったイエスにも仕え、その誕生のために準備していたとさえ言えると思います。
私たちもマリアの模範に倣って、待降節の残りの時間を特に隣人愛の実践のために使うならば、クリスマスの準備を完成させるに至るに違いないと思います。