「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」マコ13,31
典礼暦の終りが近づくと、私たちはいつも同じ事実を思い起こさせられます。それは何かというと、私たちが今生きているこの世界は、いつまでもそのまま続くものではないということなのです。言い換えれば、何時か必ずこの世の終わりが来るということなのです。世界の終末があまりにも抽象的な発想であると感じるならば、この世のことの代わりに自分の人生のことを考えてもいいと思います。
この世がいつか終わるという事実、また、この世における自分の人生も必ず終わるという事実は、当然と言えば当然ですが、なぜか多くの人がそれを忘れがちです。もしかしたら、それは多くの人がこの世、またはこの世の人生にのみ希望をおいて生きていますから、この世の終わり、または、自分の人生の終わりを意識すると、自分の希望には何も根拠がないということや自分の無力、自分の努力の空しさがはっきりと見えて、非常に恐ろしくなるからではないかと思います。
けれども、この世ではなく、キリストに希望をおく人にとって、世の終わりを思い出すことは、恐ろしいことではなく、逆に喜びをもたらすものなのです。なぜなら、世の終わりは、キリストの再臨、また、キリストのすべての言葉(約束)の実現、つまり創造のわざの完成を意味するからです。
世の終わり、または、この世の人生の終わりについて考える時に、どんな感情が浮かびますか。あなたの希望は、キリストであるのでしょうか、それとも何か別のものなのでしょうか。