「イエスは教えの中でこう言われた。『律法学者に気をつけなさい。彼らは、長い衣をまとって歩き回ること、広場で挨拶されること、会堂では上席、宴会では上座に座ることを望み、また、やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする。』」マコ12,38-40
歴史において非常に多くの場合、いろいろな悪事を働いた人、例えば権力や富を得るために他人の名誉や評判を汚したり、争いの相手を殺したり、他人のものを奪い取ったりした人は、大勢の人々によって偉大な人物として考えられて、人々がその人に従ったことがあったでしょう。このような世間において偉くなりたい人、少なくとも偉い者として認められたい人は、イエスの時代の律法学者と同じように、偉そうな格好をしたり、他人の背中を踏んで少しでも高い社会的な地位を得ようとしたり、詐欺を働いて富を増やしたり、ありとあらゆる手段、多くの場合は不正な手段を用いて、より大きな権力を手に入れようとしたりしています。
そのような人がいても仕方がないかもしれませんが、特に寂しいことというのは、そのような人に逆らう人よりも、この人の狙い通りに動く人が沢山いるということなのです。もしかして、この人たちは、無慈悲で冷酷な人の敵になるよりも、その味方や協力者になった方が自分の益になると思うのかもしれませんが、その思いの反して、結果的に意外に大きな被害を受けても自分自身を失っても、驚くべきことではないでしょう。
人の心を見て、何よりも、善意、誠実、愛と正義を評価しておられるイエスに従おうと思うならば、この世において平等の仲間として認められず、相手にされないだけではなく、軽蔑されることもあるかも知れないという覚悟を持つ必要があると思います。そのために、やはりこの世の権威や名誉、また、この世が与える特権や富などよりも、キリスト自身との絆を大事にし、キリストの愛を一番優れた宝として認める必要があると思います。