年間第29主日B年 (マコ10,35-45)

「憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。」ヘブ4,16

人間は何かの素晴らしい体験をして喜びで満たされたら、自然にこの体験を他の人に知らせたい、なるべく多くの人がこの喜びにあずかって欲しいと望むでしょう。そして、この望み通りに自分の喜びを他の人と分かち合うならば、この喜びが弱くなるどころか、ますます大きくなるのではないでしょうか。

キリスト者である私たちは、福音を宣べ伝える使命を与えられていますが、キリストとの出会いが私たちに大きな喜びをもたらし、福音が文字通りに喜ばしい知らせになるならば、私たちは何も言われなくても、自発的にその喜びを広めたいと望むようになります。この望みに従えば、与えられた使命を無理せずに果たすことができるのです。

私のキリストとの出会いから、もう30年以上経ちましたが、その時の喜びはまだ消えていませんし、今でも、私の大きな原動力になっています。その時、一番嬉しかったのは、イエスがただの福音書の主人公ではなく、本当に生きておられる現実的な方であるとの事実を発見したということでした。この体験によって、イエスは実際にいらっしゃると実感しただけではなく、イエスは私を愛し、値打ちがない私に対しても愛を求めておられるということ、またご自分に従ってほしいと、無力な私の協力を求めておられるということを、言葉で言われたよりも、はっきりと理解しました。心臓が破れそうになったほど大きな驚きと喜び、深い平安で満たされたこのイエスとの出会いが、いつまでも続くことを望んでいました。結果として、イエスの素晴らしさ、イエスの愛、イエスが下さる平和と喜びを、なるべく多くの人に知っていただきたいと思うようになり、宣教師になったわけです。

キリストとの出会いに伴ったあなた自身の喜びは、どんなものだったのでしょうか。今はどうなっていますか。

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