7月22日 年間第16主日B年 (マコ6,30-34)

「キリストはおいでになり、遠く離れているあなたがたにも、また、近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らせられました。それで、このキリストによって私たち両方の者が一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができるのです。」エフェ2,17-18

イエスの教えは、決して簡単ではありませんが、イエスの時から今に至るまで、どんな時代の人も、どんな文化の人も、この教えに喜んで耳を傾けています。どうしてこの教えはそんなに多くの人の心に響くのでしょうか。それは、イエスが人間の最も深い望みについて語り、この望みを満たす方法を教えてくださるからではないかと思います。
残念ながら、イエスの教えを喜んで聞く人が多くても、それに実際に従う人は少ないようです。どうしてでしょうか。イエスの教えを聞いても、それを実行しない一人ひとりは、自分のことを見つめ直して、自分の人生においてイエスの教えを実行するのを妨げるものを、発見しなければならないのですが、一つの理由として考えられるのは、次のようなことではないかと思います。すなわち、人がただ自分の望みだけを満すために、イエスの教えに従って生きようとしているということです。なぜなら、このような動機に基づいてイエスに従おうとしている人は、自分の望みをもっと簡単に、もっと早く満たす方法があるというような話を聞くと、イエスの教えを捨ててしまって、その代わりにこの新しい教えを喜んで受け入れ、それに従ってしまう恐れがあるからです。実際に、そのような甘い話しに騙された人が大勢いるようです。
イエスに忠実に従い、自分の最も深い望みを満たしていただいた人とは、自分の望みを満たすためにイエスの教えを実行しようとした人ではなく、イエスを愛するようになって、どんな状況においてもイエスと共にいたいと望み、イエスの愛に忠実に生き、どうしても相互の愛の絆を守りたいと望むようになった人なのです。
私たちもイエスに最後まで従うためにイエスの言葉を聞いて、その教えを理解するように努めるだけではなく、イエスご自身を見つめて、イエスご自身を知るように努力しながら、イエスを愛する恵みを祈る必要があると思います。

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