「城教会の創立については、まず知立教会の創立から話します。 1969年頃知立市でワグナー神父が宣教を始め、町の中に小さな教会を創ろうと資金を集めていました。 1972年の初め頃から教会を建て始めていました。しかし、彼は病気になり、ドイツに帰る決心をしました。私はワグナー神父と出会って、喜んで彼の始めた知立の教会建築を自分の仕事にすることにしました。 1972年12月3目が献堂式でした。私は1975年まで知立の共同体を司牧して、名古屋教区の束の方の宣教の状況を知ることができました。 13万人の人口の安城市には、まだ教会がありませんでした。
私は1982年から日本管区長・石橋神父に頼まれ、東海市に新しい小教区を創立するために働きました。 1985年東海教会は献堂されました。 1987年リチャード神父から安城市
に新しい教会を創るように懇願されました。日本管区長・石橋神父も同じ考えでした。 私は長い間ためらっていました。私の主を仕事は、南山大学の独文科で週の半分以上は教えていたからです。しかし、小さい知立教会についても責任を感じていました。決心したひとつの理由は東海教会を建てた時に、資金をコーイン大司教に頼めることが分かったからです。 1987年の終わり頃、相馬信夫司教様、石橋管区長と私は、司教館で集まり、新しい教会の大きさや姿を決めました。知立が出発点になり、安城市と西尾市と幡豆郡が付け加えられ、新しい小教区の姿は決まりました。私は、3人のカノッサ修道女会シスターに出
会い、新しい教会での協力を頼みました。そして1987年から1989年までだんだん大きくなった共同体は小さい知立教会で集まり、資金集め、土地探し、建設会社を調べました。多くの神父様方にご協力を頂きました。
そして、 1988年教会の建設は始まりました。
1989年出来たのは、ひとつの建物でした。事務室、司祭の居室、台所、ふたつの教室と大きなホール、そのホールの中でごミサをたてたり、信者を集めたり、パーティーを行ったりしました。その時は、第2段階の教会建物が建つかは、まだ誰も知りませんでした。
やがて資金が集まり、 1992年大きな御聖堂が建ちました。 1989年も、 1992年も相馬信夫司教様の司式で献堂式が行われました。どちらの式も聖霊降臨祭でした。信者と一緒に「聖霊を教会の”保護者”にいたしましょう」と決めました。信者の皆さんは誇らしく思っていたようです。聖霊とは、どう言うすばらしい”保護者”なのかを熟考しましょう。」
(「カトリック安城教会創立25周年記念」より)