年間第25主日B年 (マコ9,30-37)

「願い求めても、与えられないのは、自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求めるからです。」ヤコ4,3

文化や宗教を問わず、正しいことさえすれば、いろいろな苦しみを避けることができるとか、自分の望みが満たされると思う人が大勢いるようです。けれども、一生懸命に正しく生きても、いろいろな問題や困難が生じるし、人生がなかなか望み通りに行かないことの方が多いのではないでしょうか。さらに、多くの場合に、不正を行う人たちは何の心配もなく、人生を精一杯楽しんでいるのを見て、混乱して絶望に陥る人がいるかも知れません。また、正義や他人の気持ちなど気にせずに、自分のことのみ考えた方が賢い生き方だというような結論を出して、不正な人々と同じように、自分の欲望に従って生きるようになる人もいると思います。

神の望みに全く忠実に生きたイエスは、 “年間第25主日B年 (マコ9,30-37)” の続きを読む

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年間第24主日B年 (マコ8,27-35)

「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。」マコ8,35-36

イエス・キリストを知ることは、イエスについて何らかの情報を持つことではなく、愛と信仰によってイエスと結ばれることなのです。私たちは、この意味でイエスを知るならば、父である神を知るようになる、つまり、父である神と繋がって、神の愛と命に参与するようになりますし、キリストと同じ姿に変えられ、神の心に適う神の子になるのです。これこそ永遠の命、永遠に続く人間の最高の幸福の状態なのです。

以上の意味でイエスを知るために、一回きりの決断やちょっとした努力だけでは足りません。イエスを本当に知るようになること、最終的にイエスと一体になることは、一生かかる過程の結果なのです。この過程は、ペトロの人生において見られます。

ペトロは、 “年間第24主日B年 (マコ8,27-35)” の続きを読む

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年間第23主日B年 (マコ7,31-37)

 「『神は来て、あなたたちを救われる。』そのとき、見えない人の目が開き/聞こえない人の耳が開く。そのとき/歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。口の利けなかった人が喜び歌う。」イザ35,4-6

誰かのことが好きになれば、この人を愛するようになったと考える人、要するに「好むこと」と「愛すること」が同じであると思う人が大勢いるようです。

考えてみれば、誰かのことが「好きだ」と言う時、私たちは自分の気持ちを表しているだけで、この人と一緒にいる時、喜びや安心感などのような益を得ていると言うだけではないでしょうか。その時私たちは、相手中心ではなく、自己中心に考え、相手の益ではなく、自分の益を基準にしています。そして、この関係を「愛」と名付けるならば、相手が変わるにつれ、または、 “年間第23主日B年 (マコ7,31-37)” の続きを読む

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年間第22主日B年 (マコ7,1-8; 14-15; 21-23)

「イエスは言われた。『あなたたちは神の掟を捨てて、人間の言い伝えを固く守っている。』」マコ7,6-8

「三つ子の魂百までも」と言われている通りに、私たちが子どもの時、特にまだ理性が働かなかった時の体験によって学んだことは、私たちの身に深く染み込んで、私たちの生き方に非常に大きな影響を与えています。ユダヤ人の歴史や教会の歴史が示している通りに、たとえ人間は個人として、または国民のような団体として、創造主である神が遣わした預言者や神の御ひとり子ご自身から正しい生き方を教えられても、注意を払いながら意識的に努力しなければ、自分の元々の考え方をこの新しい教えに合わせる代わりに、少しずつこの教えの方を自分の考え方に合わせてしまいます。同じような危険性が私たちにはないとまでは、言い切れないでしょう。

預言者やイエスが呼びかけている回心のことは、 “年間第22主日B年 (マコ7,1-8; 14-15; 21-23)” の続きを読む

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年間第21主日B年  (ヨハ6,60-69)

「命を与えるのは“霊”である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。」ヨハ6,63

人間は、肉体的な存在であると同時に、霊的な存在でもあります。人間の肉体は、その霊魂の形になっていると言えるほど、体と魂は密接に結ばれています。元々の人間の美しさは、神に似せて創られた魂の美しさを表していたし、人間の内面的な調和、また、人間同士や人間と自然との間の調和は、人間の魂と神の霊との間の調和を表していました。

原罪は人間の霊魂を傷つけて、 “年間第21主日B年  (ヨハ6,60-69)” の続きを読む

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年間第20主日B年 (ヨハ6,51-58)

「イエスは言われた。『わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。』」ヨハ6,54

ご聖体を拝領すること、すなわち、キリストの体を受けることは、生きたイエス・キリストと交わることなのです。ご聖体においてキリストがご自分自身を私たちに与えてくださるのは、私たちを愛しておられる上に、私たちと共にいたいだけではなく、私たち一人ひとりと一体になりたいからです。要するに、ご自分の体を与えることによって、イエスが私たちに対する真の愛を告白してくださるわけです。

もし、私たちがキリストの愛に応えてキリストを愛し、 “年間第20主日B年 (ヨハ6,51-58)” の続きを読む

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年間第19主日B年 (ヨハ6,41-51) 

「イエスは言われた。『わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。』」ヨハ6,51

もし、イエスがナザレの人々の考えたように、ただのヨセフの息子であったならば、イエスの言葉を、全く現実から離れた人が語ったものや人々を惑わせようとした人の話として、それを無視してしまった方がいいと思います。けれども、イエスは自分自身が語ったように、ヨセフの子ではなく、宇宙万物を創ってくださった神の子であって、この神である父によって遣わされた方であるならば、イエスが語られた言葉は非現実的なものではなく、今まで私たちの現実になかったような新しい可能性を現すものとして聞くべきであると思います。

この新しい可能性というのは、 “年間第19主日B年 (ヨハ6,41-51) ” の続きを読む

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