待降節第2主日C年 (ルカ3,1-6)

「そこで、ヨハネはヨルダン川沿いの地方一帯に行って、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。」ルカ3,3

「悔い改め」という日本語に翻訳されている元々のギリシア語の「メタノイア」は、自分が目指す目的や、今までの自分の行いについての考え方を、変えるということを意味する言葉です。どうしてそのような変化が、救い主を迎えるために必要なのでしょうか。

洗礼者ヨハネは、罪人、すなわち創造主である神が示す目的ではなく、それと違う目的を目指す人に向かって、 “待降節第2主日C年 (ルカ3,1-6)” の続きを読む

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待降節第1主日C年 (ルカ21,25-28,34-36)

「放縦や深酒や生活の煩いで、心が鈍くならないように注意しなさい。さもないと、その日が不意に罠のようにあなたがたを襲うことになる。」ルカ21,34

人間は、愛である神に象って、神との愛の交わりに生きるために創造されていますので、いくら努力しても、たとえ全世界を手に入れたとしても、この世のもので自分の心の飢え渇きを満たすことはできません。この世のものが満たすことのできない望みは、人間の偉大さを表していると同時に、人間にとって大きな苦しみの原因にもなっているのです。

この苦しみの原因を知らずに、心の飢え渇きを満たすことのできる方を知らない人たちは、 “待降節第1主日C年 (ルカ21,25-28,34-36)” の続きを読む

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王であるキリスト・年間第34主日B年 (ヨハ18,33b-37)

「イエスはお答えになった。『・・・わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。』」ヨハ18,37

「仕えられるためではなく、仕えるために来た」(マコ10,45)と言われたイエスは、王と呼ばれるよりも、羊飼い、しかも、自分の羊のために命を与える良い羊飼いと呼ばれることを好まれたようです。典礼暦の最後の主日である「王であるキリスト」の祭日を祝う際に、それを忘れてはいけないと思います。

やはり今日読まれる福音の中でイエスは、自分自身が “王であるキリスト・年間第34主日B年 (ヨハ18,33b-37)” の続きを読む

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年間第33主日B年 (マコ13,24-32)

「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」マコ13,31

典礼暦の終りが近づくと、私たちはいつも同じ事実を思い起こさせられます。それは何かというと、私たちが今生きているこの世界は、いつまでもそのまま続くものではないということなのです。言い換えれば、何時か必ずこの世の終わりが来るということなのです。世界の終末があまりにも抽象的な発想であると感じるならば、この世のことの代わりに自分の人生のことを考えてもいいと思います。

この世がいつか終わるという事実、また、 “年間第33主日B年 (マコ13,24-32)” の続きを読む

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年間第32主日B年 (マコ12,38-44)

「イエスは教えの中でこう言われた。『律法学者に気をつけなさい。彼らは、長い衣をまとって歩き回ること、広場で挨拶されること、会堂では上席、宴会では上座に座ることを望み、また、やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする。』」マコ12,38-40

歴史において非常に多くの場合、いろいろな悪事を働いた人、例えば権力や富を得るために他人の名誉や評判を汚したり、争いの相手を殺したり、他人のものを奪い取ったりした人は、大勢の人々によって偉大な人物として考えられて、人々がその人に従ったことがあったでしょう。このような世間において偉くなりたい人、少なくとも偉い者として認められたい人は、イエスの時代の律法学者と同じように、 “年間第32主日B年 (マコ12,38-44)” の続きを読む

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年間第31主日B年 (マコ12,28b-34)

「イエスはお答えになった。『第一の掟は、これである。「イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。」第二の掟は、これである。「隣人を自分のように愛しなさい。」この二つにまさる掟はほかにない。』」マコ12,29-31

人間は愛に生きるために創造されましたので、愛に生きている時だけ幸せです。けれども、同時に人間は非常に弱い存在であって、恐れや欲望などによって束縛されていますので、いくら努力しても愛に生きることができませんし、誰かに愛されても、この愛を滅ぼしてしまうことも珍しくありません。幸いにも、愛は人間の努力の結果ではなく、人間を創造してくださった神、愛そのものである神が与えてくださる賜物なのです。しかも、愛は神が全ての人に与えたいと望んでおられる賜物なのです。
神は人間に掟を与えることによって、 “年間第31主日B年 (マコ12,28b-34)” の続きを読む

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年間第30主日B年 (マコ10,46-52)

「多くの人々が叱りつけて黙らせようとしたが、彼はますます、『ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫び続けた。』」マコ10,48

私たちがイエス・キリストを信じるというのは、盲人のバルティマイのように「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と叫び、イエスを信頼して、イエスに私たちの暗闇を照らしていただくように、つまり歩むべき道を教えていただくように、願うということなのです。そして、バルティマイのように、今も私たちはいろいろな形で、例えばキリストの教えに逆らう消費主義や快楽主義の価値観や、それに基づく生き方を押しつけられることによって、 “年間第30主日B年 (マコ10,46-52)” の続きを読む

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