年間第28主日B年 (マコ10,17-30)

「イエスが旅に出ようとされると、ある人が走り寄って、ひざまずいて尋ねた。『善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。』」マコ10,17

宇宙万物を創造してくださった神は、すべての人の救いを求めておられます。つまり、神はすべての人々に永遠の命を与えたいと望んでおられます。ですから、永遠の命を受け継いで、最高に幸せになることこそが、私たちの存在の目的であり、その意義であると言えるのです。従って、永遠の命や幸福を追求することは、人間にとって本能的なものであり、一番大切なことなのです。

けれども、人間は永遠の命や幸福を求めても、 “年間第28主日B年 (マコ10,17-30)” の続きを読む

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年間第27主日B年 (マコ10,2-16)

「神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」マコ10,9

十数年前に台湾にいた時に、昔の中国では、「三位一体」のことを「三私一愛」というように書いたという話を聞きました。この表現は非常に気に入りました。なぜかと言うとこの表現は、三位一体の神の神秘の一番重要なところを表していると思ったからです。御父と御子と聖霊という三位(三つのペルソナ)は、互いに完全に愛しておられる、つまり互いに与え合い、互いに受け入れ合うために完全に一つの愛として、一体となっているわけです。

三位一体の神秘は、私たちに愛について大事なことを教えています。つまり、 “年間第27主日B年 (マコ10,2-16)” の続きを読む

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年間第26主日B年 (マコ9,38-43.45.47-48)

「真理によって、彼らを聖なる者としてください。あなたの御言葉は真理です。わたしを世にお遣わしになったように、わたしも彼らを世に遣わしました。」ヨハ17,17

イエスは大勢の人を癒し、多くの人から悪霊を追い出しましたが、イエスが神によって遣わされたことを信じなかった人も、イエスを妬んで殺そうと図っていた指導者さえも、イエスには超自然な力があることを否定することができず、それを非常に大きくて確実なものとして認識していました。不思議なことに、イエスが救い主であると信じなくても、その力だけを認め、イエスの名を使って、イエスと同じように奇跡を行い、同じように悪霊を追い出す人もいたようです。けれどもこの人たちは、「イエスの名によって」ではなく、あくまでも「イエスの名を使って」そうしたのです。

「イエスの名を使って」何かをするのと、 “年間第26主日B年 (マコ9,38-43.45.47-48)” の続きを読む

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年間第25主日B年 (マコ9,30-37)

「願い求めても、与えられないのは、自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求めるからです。」ヤコ4,3

文化や宗教を問わず、正しいことさえすれば、いろいろな苦しみを避けることができるとか、自分の望みが満たされると思う人が大勢いるようです。けれども、一生懸命に正しく生きても、いろいろな問題や困難が生じるし、人生がなかなか望み通りに行かないことの方が多いのではないでしょうか。さらに、多くの場合に、不正を行う人たちは何の心配もなく、人生を精一杯楽しんでいるのを見て、混乱して絶望に陥る人がいるかも知れません。また、正義や他人の気持ちなど気にせずに、自分のことのみ考えた方が賢い生き方だというような結論を出して、不正な人々と同じように、自分の欲望に従って生きるようになる人もいると思います。

神の望みに全く忠実に生きたイエスは、 “年間第25主日B年 (マコ9,30-37)” の続きを読む

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年間第24主日B年 (マコ8,27-35)

「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。」マコ8,35-36

イエス・キリストを知ることは、イエスについて何らかの情報を持つことではなく、愛と信仰によってイエスと結ばれることなのです。私たちは、この意味でイエスを知るならば、父である神を知るようになる、つまり、父である神と繋がって、神の愛と命に参与するようになりますし、キリストと同じ姿に変えられ、神の心に適う神の子になるのです。これこそ永遠の命、永遠に続く人間の最高の幸福の状態なのです。

以上の意味でイエスを知るために、一回きりの決断やちょっとした努力だけでは足りません。イエスを本当に知るようになること、最終的にイエスと一体になることは、一生かかる過程の結果なのです。この過程は、ペトロの人生において見られます。

ペトロは、 “年間第24主日B年 (マコ8,27-35)” の続きを読む

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年間第23主日B年 (マコ7,31-37)

 「『神は来て、あなたたちを救われる。』そのとき、見えない人の目が開き/聞こえない人の耳が開く。そのとき/歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。口の利けなかった人が喜び歌う。」イザ35,4-6

誰かのことが好きになれば、この人を愛するようになったと考える人、要するに「好むこと」と「愛すること」が同じであると思う人が大勢いるようです。

考えてみれば、誰かのことが「好きだ」と言う時、私たちは自分の気持ちを表しているだけで、この人と一緒にいる時、喜びや安心感などのような益を得ていると言うだけではないでしょうか。その時私たちは、相手中心ではなく、自己中心に考え、相手の益ではなく、自分の益を基準にしています。そして、この関係を「愛」と名付けるならば、相手が変わるにつれ、または、 “年間第23主日B年 (マコ7,31-37)” の続きを読む

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年間第22主日B年 (マコ7,1-8; 14-15; 21-23)

「イエスは言われた。『あなたたちは神の掟を捨てて、人間の言い伝えを固く守っている。』」マコ7,6-8

「三つ子の魂百までも」と言われている通りに、私たちが子どもの時、特にまだ理性が働かなかった時の体験によって学んだことは、私たちの身に深く染み込んで、私たちの生き方に非常に大きな影響を与えています。ユダヤ人の歴史や教会の歴史が示している通りに、たとえ人間は個人として、または国民のような団体として、創造主である神が遣わした預言者や神の御ひとり子ご自身から正しい生き方を教えられても、注意を払いながら意識的に努力しなければ、自分の元々の考え方をこの新しい教えに合わせる代わりに、少しずつこの教えの方を自分の考え方に合わせてしまいます。同じような危険性が私たちにはないとまでは、言い切れないでしょう。

預言者やイエスが呼びかけている回心のことは、 “年間第22主日B年 (マコ7,1-8; 14-15; 21-23)” の続きを読む

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