年間第33主日C年 (ルカ21,5-19)

「しかし、これらのことがすべて起こる前に、人々はあなたがたに手を下して迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために王や総督の前に引っ張って行く。それはあなたがたにとって証しをする機会となる。」ルカ21,12-13

世の終わりがいつ来るのかということは誰にも分かりませんが、私たちが体験している争い、暴動、戦争、天災などのような苦しみが、世の終わりまで続くということは確かです。ですから、世界の終りがいつ来るのかということよりも、いろいろな苦しみと悪に満たされたこの世界においてどのように生きればいいか、それに関してどんな態度をとればいいかという問題が、現実的で重要です。

ある人は、全力を尽くして、世界にある悪と戦います。残念ながら、 “年間第33主日C年 (ルカ21,5-19)” の続きを読む

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年間第32主日C年 (ルカ20,27-38)

「イエスは言われた。『神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。すべての人は、神によって生きているからである。』」ルカ20,38

知恵の書に書いてある通り、「神は人間を不滅な者として創造し、ご自分の本性の似姿として造られた。悪魔のねたみによって死がこの世に入り」(知2,23-24)ました。命の源である神から離れた人間は死ぬようになりましたが、幸いに神はご自分の最初の望みを変えることなく、キリストの愛の奉献によって、罪の結果である死に打ち勝ち、キリストの復活にあずかることによって、 “年間第32主日C年 (ルカ20,27-38)” の続きを読む

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年間第31主日C年 (ルカ19,1-10)

「イエスは言われた。『今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。』」ルカ19,9-10

恐らく、非常に多くの人と同じように、ザアカイは人生においてお金と権力が一番重要なものであると思っていたでしょう。そのために、一生懸命に努力して、徴税人の頭にも金持ちにもなった、つまり求めていた権力とお金を手に入れることができました。けれども、期待したような満足や幸福を得ることができず、彼の心はますます飢え渇いていったのです。

ザアカイは、自分が心の中で何を求めているかということが分からなかったけれども、 “年間第31主日C年 (ルカ19,1-10)” の続きを読む

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年間第30主日C年 (ルカ18,9-14)

「言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」ルカ18,14

人の期待を満たしたら、この人が私たちに対して好意的になって、私たちがこの人から求めているものをもらう可能性が高くなるというような人間関係の現実に慣れている多くの人が、神もまた同じように働いておられるのだと思いがちです。けれども、ファリサイ派の人と徴税人についてのたとえによって、イエスが私たちにそのようなイメージと全く異なる働きをなさる神の姿を現してくださいます。というのは、もし、神が多くの人が考えているように働かれたならば、 “年間第30主日C年 (ルカ18,9-14)” の続きを読む

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年間第29主日C年 (ルカ18,1-8)

「イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話された。」ルカ18,1

主イエスが教えてくださった通り、父である神は私たちが願う前から、私たちに必要なものをご存じです(マタ 6,5-8)。そして、父は「悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる」(マタ5,45)、つまり、どんな人にも、言ってみれば、祈る人にも、祈らない人にも、必要なものを与えてくださいます。それなら、私たちはなぜ祈らなければならない、しかも「気を落とさずに絶えず祈らなければならない」(ルカ18,1)のでしょうか。

多くの場合、私たちが神に何かを願い求めても、 “年間第29主日C年 (ルカ18,1-8)” の続きを読む

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年間第28主日C年 (ルカ17,11-19)

「その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。」ルカ17,15-16

感謝の念は、人間が他の人から何らかの形の助けを受けた際、例えば、何らかの奉仕をしてもらったとか、何らかの良いことを言ってもらったとか、必要としていた物をもらった際に浮かぶ感情なのです。しかし、この感情が起こるかどうかは、また、その感情の程度は、私たちがこの助けをどのように受け止めるかということに依るのです。

相手からいただいたものの実際の価値や、そのものに対する私たちの客観的な評価よりも、 “年間第28主日C年 (ルカ17,11-19)” の続きを読む

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「使徒たちが、『わたしどもの信仰を増してください』と言ったとき、主は言われた。『もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に、「抜け出して海に根を下ろせ」と言っても、言うことを聞くであろう。』」ルカ17,5-6

自分たちの信仰が小さすぎると思った使徒たちは、イエスにそれを増してくださるように頼みました。その依頼に応えてイエスが言われたのは、彼らの信仰の本当の問題というのは、その大きさではなく、その質、つまりそのあり方であるということでした。

その12人の使徒は、自分たちの家とか仕事とか、つまり今までの生き方を捨てて、イエスの呼びかけに応えて従ったほどに強い信仰を持っていました。けれども “” の続きを読む

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