19º Domingo Comum (Jo6,41-51)

“Eu sou o pão vivo que desceu do céu. Quem comer deste pão viverá eternamente.” (Jo6,51)

Se fosse como pensava o povo de Nazaré, quer dizer, se Jesus seria realmente apenas o filho de José, pode se considerar as palavras de Jesus como as palavras de um homem que está completamente distante da realidade, ou como as palavras de um homem que tenta enganar as pessoas. Ignorar essas palavras seria a única reação sensata.

No entanto, se é como disse próprio Jesus, quer dizer, se Jesus é verdadeiramente o Filho de Deus, “19º Domingo Comum (Jo6,41-51)” の続きを読む

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年間第19主日B年 (ヨハ6,41-51) 

「イエスは言われた。『わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。』」ヨハ6,51

もし、イエスがナザレの人々の考えたように、ただのヨセフの息子であったならば、イエスの言葉を、全く現実から離れた人が語ったものや人々を惑わせようとした人の話として、それを無視してしまった方がいいと思います。けれども、イエスは自分自身が語ったように、ヨセフの子ではなく、宇宙万物を創ってくださった神の子であって、この神である父によって遣わされた方であるならば、イエスが語られた言葉は非現実的なものではなく、今まで私たちの現実になかったような新しい可能性を現すものとして聞くべきであると思います。

この新しい可能性というのは、 “年間第19主日B年 (ヨハ6,41-51) ” の続きを読む

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お知らせ 年間第18主日 2018年8月5日

  • 平和祈願夕べの集い

8月9日(木)午後6時30分より、カトリック聖心教会にて、三河ブロック主催、平和祈願夕べの集いが行われます。

プログラム:長崎被爆体験の話、平和祈願ミサ

詳細は、ポスターをご覧ください。

  • 平和旬間聖体礼拝リレー

8月11日(土)名古屋教区の平和旬間聖体礼拝リレーとして、午後7時からミサ、ミサ後平和の祈りと個人聖体礼拝が翌日午前9時15分まで、小聖堂で行われます。

  • 聖母の被昇天

8月15日(水) 聖母の被昇天のミサは、午前10から大聖堂で行われます。(この日に午前7時のミサは行われません。)

  • 評議会

8月5日(日)11:00より、カトリック館2階のA教室にて評議会を行います。評議員の皆様はお集まりください。

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18º DOMINGO DO TEMPO COMUM

“Em verdade, em verdade, eu vos digo: estais me procurando não porque vistes sinais, mas porque comestes pão e ficastes satisfeitos. Esforçai-vos não pelo alimento que se perde, mas pelo alimento que permanece até a vida eterna, e que o Filho do homem vos dará.” (Jo 6, 24-35)

Jesus Cristo foi enviado pelo o Pai a este mundo, não para satisfazer nossas expectativas, ou para nos dar o que o mundo em que nós vivemos tem de melhor para oferecer, mas para nos dar o amor e a vida de Deus, para nos dar mesmo o próprio Deus.

Portanto, Jesus não atenderá a todas as nossas expectativas. Podemos ter certeza de que ele nos recusará se pedirmos algo que não precisamos, ou algo que não é bom para nós.

Para aceitar esse dom, “18º DOMINGO DO TEMPO COMUM” の続きを読む

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年間第18主日  (ヨハ6,24-35)

「イエスは言われた。『わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。』」ヨハ6,35

 人間のあらゆる必要性が満たされているとき、人間は安定して幸福感を味わっています。けれども、必要性の中には簡単に満たされるようなものだけではなく、満たすためには一生懸命に働かなければならないようなものもあれば、いくら努力しても、自分だけでは満たすことのできないものもあります。

自分の必要性を簡単に満たすことができない人間は、安定感や幸福感を得るためにいろいろな工夫をします。その内、最も一般的と考えられている仕方とは、次のようなものです。簡単に満たせるような必要性を、機会がある度に必ず満たし、なかなか満たすことのできないような必要性は、意識しないように抑えるか、本当に必要なものがもたらすような感覚を与えるものとして代用品を用いて、必要性が満たされているかのように感じる状態にします。それは、たとえば空腹のときに、本当に必要な食事をする代わりに、一杯の水を飲むか、何の栄養もないものを食べることによって、空腹感をなくすことで、空腹感が表した必要性が満たされたかのように感じる状態にするようなものです。言うまでもなく、それによって安定感を得ても、それは本当の安定ではありません。幸福感を得ても、それは本当の幸福ではありません。そうする人は、自分を欺くだけではなく、インスタント食品ばかり食べている人のように自分に害を与えもします。そのことがすぐに分からなくても、何時か必ず分かるものなのです。

主イエスには、私たちのすべての必要性を満たす力があるし、この必要性を必ず満たしてくださると約束してくださいました。私たちは、イエスの力とイエスの忠実さを信頼して、自分で満たすことのできない心と魂の飢え渇きを隠すのではなく、それを主に委ね、イエスの導きに従うことによって、すべての必要性を満たしていただくように祈りたいと思います。

 

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