年間第16主日C年 ルカ10,38-42

「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」ルカ10,41-42

「仕えられるためではなく仕えるために」(マタ20,28)来られた主イエス・キリストは、多くの人々に奉仕して、いろいろな病気を患っていた人を癒したり、空腹の人々に食べ物を与えたり、悪の支配下にいた人をその束縛から解放したり、悲しんでいた人を慰めたり、恐れに満ちた人を励ましたりしました。ですから、マルタのように、完全な人間であるイエスの模範に倣って、全力を尽くして人に仕えることは、素晴らしくて、非常に良いものであるわけです。

けれども、その際に意識しなければならないことがあります。それは何かというと、人間の肉体的や精神的な必要性を完全に満たすことができたとしても、それだけは十分ではないということです。なぜなら、人間は、神の命にあずかって、神との愛の交わりに生きるために創造された存在ですので、この目的を達成しないかぎり、聖アウグスチヌスが言ったように、「決して憩うことがない」から、すなわち、完全に満たされることはなく、飢え渇きつづけるからなのです。

誰よりも、このことをよく知っておられるイエス・キリストは、ご自分の奉仕によって、人の肉体的な必要性と精神的な必要性を満たそうとしただけではなく、何よりも、それによって神の愛を示して、この人の心を神に向けさせようとされたのです。

「マリアは良い方を選んだ」とは、「主の足もとに座って、その話に聞き入っていた」ことによって、自分の奉仕や他のものだけではなく、マリアは自分自身をイエスにささげて、イエスと交わり、そして、イエスを通して、神ご自身と交わっていて、イエスが一番与えたかった賜物、と同時に人間が一番必要としている恵みを、受けていたということなのです。

さて、私たちは、マリアのように、イエスとの静かな時を過ごすことによって、神の愛と神の命を受け入れて、マルタのように全力を尽くして人に仕え、この人たちに神の愛を示し、彼らの心を神に向けさせることによって、最高の愛を実践することができますように祈りましょう。

 

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