王であるキリスト・年間第34主日B年 (ヨハ18,33b-37)

「イエスはお答えになった。『・・・わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。』」ヨハ18,37

「仕えられるためではなく、仕えるために来た」(マコ10,45)と言われたイエスは、王と呼ばれるよりも、羊飼い、しかも、自分の羊のために命を与える良い羊飼いと呼ばれることを好まれたようです。典礼暦の最後の主日である「王であるキリスト」の祭日を祝う際に、それを忘れてはいけないと思います。

やはり今日読まれる福音の中でイエスは、自分自身がこの世の王たちと全く異なっているということを言われています。一人ひとりのために幸福を求めて、この幸福へと導くことのできるイエスは、この世の王や他の支配者と違って、人の自由意志を尊重しておられるので、暴力を用いて人に服従を強いるようなことを絶対にされません。イエスの唯一の「武器」というのは、真理について証しをすることなのです。

真理について証しをするために生まれたイエスは、自分の力に頼って自分の努力によって幸せになろうとしている人に、その努力の空しさや危険性を示してくださいます。と同時に、永遠に続く幸福の唯一の源である神のもとに人を引き寄せるために、神の愛の偉大さをご自分の言葉と行いによって現してくださるのです。

自分たちについての真理を示されたために、イエスに対して怒りを覚えて、神の愛に心を開くことのできなかった人たちは、イエスを十字架に付けました。十字架に付けられていたイエスは、全く無力に見えていましたし、その活動も失敗に終わったように見えましたが、不思議にもそのとき、イエスは一番力強く、真理について証しをしていたのです。

十字架に付けられているイエスの姿において、ますます多くの人々が、自分の罪についての真理、また、父である神の愛についての真理を見出すことができますように。そして悔い改めて、イエスのもとに近づくことによって、永遠の命の源である神のもとに近づくことができますように祈りたいと思います。

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